vol.4 アメリカ合衆国のはじまり
大陸会議では連合規約(Articles of Confederation)が準備され、新しい国家を納めるための最初の憲法として1781年に採択されました。この頃はまだ個々の州が強い権力を持っていたため連合会議という中央機関に力はなく、税制はおろか州間取引を調整する法律すら制定できませんでした。
イギリス13の植民地は合衆国設立後に州となりましたが、それぞれの足並みは全く揃っていませんでした。George
Washington、Alexander Hamilton、James Madisonや他の政治家たちはこの憲法による政治に満足できず、1787年に憲法制定会議が開かれ、ここで初めて新しい憲法が制定されました。各州をとりまとめるには統率力のある強い政府が必要だったからです。
新しい憲法は、まず3つの政府機関を設け、三権分立を取り入れました。それが、Executive
Branch(行政機関)、Judical Branch(司法機関)、Legislative Branch(立法機関)です。
Executive Branchは最高責任者としてここに大統領を置き、法の遵守を監督し、国民は4年毎に大統領を選出することになります。Legislative Branchは新しい法律を作る最高機関で、Senate(上院)とHouse of Representatives(下院)の2つから構成され、これを議会(Congress)と呼んでいます。Senateには、それぞれの州から議員を2人選出して送り込むことがでます。House
of RepresentativesはSenateよりも多くのメンバーから構成され、各州の人口に比例して代表者の数が決められます。人口の多い州は、人口の少ない州よりも代表者を多く選出することができるわけです。
Judical Branchは、最高裁判所(Supreme Court)と他の連邦裁判所から構成されます。
George Washington
(1732-1799) |
1787年9月17日、代表者たちはこの新しい憲法に署名しました。13州のうち少なくとも9州の賛同を得なければなりませんでしたが、まず最初に9つの州が合意し、1789年にはアメリカ合衆国初代大統領としてGeorge
Washington(在職期:1789-1797)が選出され、後に彼は"Father of This
Country"と慕われました。1790年までには全ての州が新しい憲法に署名しました。新しい憲法は権利章典が欠如していることに数々の指摘を受けましたが、紆余曲折の後に1791年11月に10条からなるBill
of Rights(権利章典:人民の基本的人権に関する宣言)がようやく唱えられました。
George Washingtonの大統領就任式は1789年4月30日にニューヨークで行われましたが、この時首都をどこに置くかはまだ決まっていませんでした。その後、憲法制定会議などが行われたペンシルバニア州フィラデルフィアに臨時的に首都を構え、最終的に現在のワシントンDCに首都建設計画が進められることとなったのです。
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新しい首都は1793年に礎石が置かれ、7年後の1800年4月に、未完成ではありましたが首都としての機能を果たし始めました。ワシントン・コロンビア特別地区(Washington
District of Colombia)という名称が与えられたのは1796年のことです。
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