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vol.12 繁栄と不況の時代
第一次世界大戦が残した爪痕は大きく、多くの経済問題が持ち上がりました。平和な時代への移り変わりと共に、政府は戦時中に契約した造船や戦闘機・武器などの製造を中止したため失業者があふれ、退役軍人の多くは祖国に戻ってきたものの仕事が見つからずに不況にあえいでいました。
1920年以前のアメリカでは女性に対して選挙権が与えられていませんでした。1860年代の初頭からSusan
B.Anthonyをはじめとする女性たちが、女性の地位向上を訴え、各地で運動が活発化しました。第一次世界大戦中に多くの工場等で働いて戦いを影から支えた女性たちこそがアメリカの勝利に重要な役割と果たしたとし、男性と平等の選挙権を与えるべきだと主張したのです。これにより1920年にようやく合衆国憲法修正第19条が可決され、国内全ての州において女性の選挙権が認められるようになりました。
1920年代になるとアメリカの経済も次第に上向きになり、失業率も低くなってくると、商品の購買力も上がってきました。Henry
Fordは多くの車を製造し、生産ラインも動き出しました。アメリカ国民の多くが車を買い求め、ラジオや映画といった娯楽も楽しむようになり、皿洗い機や冷蔵庫、掃除機といった電化製品が次々に発明され、人々の暮らしも豊かになってきました。分割払いやローンの利用により、多くの消費者がこれらの製品を手に入れるようになりました。
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この頃から一般人の間にも株式投資を始める人が増え続けました。借金をしてまでも株式を購入し、転売することによって利ざやを稼ぎ、市場はどんどん活発化していきました。しかし1929年10月29日、ニューヨークの株式市場で突然株式の大暴落が起こり、かつてない恐慌が発生しました。
アメリカ経済に依存していたヨーロッパ諸国への影響も深刻で、世界経済は完全に麻痺状態となりました。これが世界大恐慌です。株価の下落は加速し、多くの人々が瞬く間に財産を失いました。失業率は再び上がり、銀行の倒産によって預金を奪われ、負債を抱える人々は支払いの目処が立たずに路頭に迷いました。企業の倒産は後を絶たず、経済活動は一気に低下しました。当時の第31代目アメリカ大統領フーヴァー(Herbert
Hoover 在任1929-1933)は、恐慌の拡大を阻止するためにドイツの賠償や連合国の戦債支払いを1年間停止する政策を打ち出しましたが効果はなく、国民の支持率低下は免れませんでした。 |
The front page of the Oct. 30, 1929
New York Times
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